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Posted by チェスト at

2015年05月14日

今でも覚えてい

今でも覚えている夏休みのパパによる工作は、花王の赤い石鹸箱の上部に穴をあけ、厚紙で作ったタイヤを設置。中にどういう仕掛けがあったのか作っていないから分からないが、輪ゴムでタイヤが回るような仕掛けになっている。石鹸箱には割り箸の柱が付いていて、そこには旗が掲げられていた。そして、くりぬいた中には、たまたま家にあったタオル地の小さなうさぎの人形が入れられる。自分で作ってもいないのに、「これでいいのかな」なんて恥ずかしそうに壊れないようにと入れて来た紙袋から取り出し、工作を紹介する大きなテーブルの上に「あだちさちこ」の名前を添えてそっと置いたのを覚えている。

自由研究ももちろん切羽詰るまで手に付けない。パパの提案をすんなりと受け入れて取り掛かった宿題は、模造紙に家の近辺の地図を書き、そして近所で咲いている花を記していくと言うものことだった。方向音痴で地図を見るのはもちろん描くのも苦手だったと私が、上手に仕上げることが出来る訳もなく、しかも慌てて作ったものだから、その地図に書き記した花の種類の乏しさと言ったら。毎日散歩しながら花を見るのが好きな今の自分だったら楽しんで行いそうな宿題だが、年齢が一桁だった私は「花は花」でしかなく、自分で見つけて描いた唯一の花(木)は氷川神社へ続く道にある、煙草屋さんの前のサルスベリだった。パパから「猿が滑るからさるすべり」と教えてもらった時から、その木を見る度に猿が滑り落ちている様子を想像し、とりたて好きな花では無いにしても「面白い」花という評価を付けたのだ。白いつるっとした幹にピンクの花を咲かせていたあのサルスベリは今でも鮮明に覚えている。

こんな様子の小学生時代だったが、どこでどう変わったのか、今の私は宿題はとにかくすぐに終わらせる人に成長した。いや、これを成長と呼べるのかどうかは分からない。昨年、書く仕事を少ししていた私は、原稿依頼が来ると期限まで例え数週間あろうが、居ても立ってもいられらなくなり、とにかくすぐに取り掛からないと気が済まない。そして依頼があって数日後には原稿を提出し、残りの期間を「あぁ、終わった~。」と解放感に浸りながら過ごす、、、、、べきなのだが、そうなると次なる依頼がまた来て、数か月先の提出であってもまたすぐに取り掛かるという繰り返しだった。いざとなってもパパはいないし不安だから。  


Posted by kieihui at 10:46Comments(0)