2014年11月11日
言い方ですが

ひとつ前の記事は漫画の感想ですが、今回はWOWOWでやっていたドラマの感想を書きます。
何とも大げさな言い方ですが、ささやかな事にでも良い方向に運命は導いてくれていたのだと思います。作者である大島弓子さんの作品が大好きで、だからこの作品も好きで、そして映画の「グーグーだって猫である」も大好きだった私は、当然のようにこの作品を見始めました。
だけれど特に深くのめり込むと言うわけでもなかったので、なんとなく見ていました。時にはジーンとしたりしみじみとしたり、涙ぐんだり、だけれど寝てしまったり・・・・・・。〈いや、たんにこの時間帯が眠いだけ。本当は寝たくなんかないんですよ。〉
そんな中で、ふと立ち寄った本屋さんで目にした「キャットニップ」の本。
それを読んで一気に「グーグー・・」の続編を読まなくてはという気持ちになってしまったと言うことは、「キャットニップ」の本の感想の中でも書きました。
その「ぐーぐー・・」の漫画の感想の中で、5巻は中古新品だったと書いたのですが〈チネネチと〉届いたのも6巻の後。だから注文してから読み始めるまで1週間が経ってしまいました。
そしてそれを読み終えてさめざめと泣いた後に、そう言えば今日はドラマの「グーグーだって猫である」をやる日だなあと思いました。
そうか、だからか。
その時になって予告編の
「ありがと、グーグー。」のシーンの意味が分かったような気がしたのでした。
ゆるゆるとしたテンポのその癒し系のドラマが、まさか4回で最終回を迎えるとは思ってもみなかったのです。もっともっと続くものだと勝手に思い込んでいたのでした。
ちゃんと確認しときなさいよ、あなた、と言う所ですよね。
最終回でいきなり15年後。
もしも原作を読んでいなかったら、この急展開に動揺して見るべきところも見逃してしまったように思います。
そう言えば昼間、漫画を読みさめざめと泣いていると、通りかかった夫殿が
「漫画で泣くんじゃないよ~。」と言いましたが、
「ほっといて下さい。」と言っておきました。それしか言うことがないですよね。
映画版と監督は同じ犬童一心。大島弓子の作品を何度か映画化している監督だからこその描かれ方がされているように感じました。
キャストも主演の宮沢りえ以外にも長塚圭史・黒木華、田中泯 、岩松了、少女時代のヒロインに市川実和子、最終回ゲストには菊地凛子と豪華版です。
音楽もこのドラマにぴったりで挿入歌は高田漣の「パレード」。
4話を見終わって、まるで映画を見終わったような感じを受けました。
2014年08月26日
指すのであれ

性同一性障害の人が女性専用車両に乗るとどうなるのかふと疑問がわいて少し調べてみると、乗るときに自己申告すれば問題ないらしい。ただこのことを知って女性専用車両に乗ってる人はおそらく少ない。とすれば女性専用車両で言うところの女性とは外見上の女性しか指していないことになり、女装すれば乗れるということになる。外見でしか性別を判断しないのであれば、それは多様なジェンダーを認める方向に流れつつある世界と逆を行っていることになるだろう。
つまり、性別多様性を認める社会を本質的に目指すのであれば、「男・女・ゲイ・レズビアン・ゲイだけど女が好き・レズビアンだけど男が好き……」とすべてのジェンダー車両を作る必要があるかもしれない。しかし、これは鉄道の運用上現実的ではない。ならばもうジェンダーで車両を分けることなんて廃止して、「男性は車両の前から乗車・女性は車両の後ろから乗車」のようにした方がややこしくないし、痴漢も起きにくくなる。
企業サービスとして女性に特別措置をすることに対して男性冷遇との声もある。僕は映画館や飲食店などのレディースデーには不満を持っている人なので、この女性専用車両問題が飛び火してレディースデーがさらに増えてしまうことにだけはならないよう願っている。
2014年07月21日
俺には理解できない

不愉快なニュースばかりだから寝ながらや野球を見る、と言って女房は2階の寝室へ。俺は野球に興味がないからブログを書いている首爾自由行。
野球にしてもサッカーにしても他人がやってるのを見て何が楽しいんだ? 自分でやるなら未だしも。観客だかサポーターだか知らないが熱狂ぶりには腹が立つよ。馬鹿モン!
観客型人間には主体性がないんだろな。その他大勢が好きなんだよな。俺には理解できない。折角生まれてきて個が無いってのは勿体なくないか。どうでもいいや塑膠回收。
自意識過剰で協調性が無く反体制的で独り相撲ばっかりとっている自分が悲しくないか? 悲しくはないが納得のいく生き方を爺になっても模索している自分が滑稽だね。でも他人になろうとは思わない。
どんなに不幸な人間でも幸福な他人になろうとは思わないだろ。そこが人間の救いだ。他人になるってことは自分を殺すってことだからな雪纖瘦。
ああややこし。小便して寝よう。では明日。ごきげんよう。
2014年07月15日
まわりを絶壁

そんな壁を破るヒントが、『三国志』にあります。
劉備、関羽、張飛が率いる義勇軍が、初めて敗北を経験した時のことです。
敵の賊軍は、高い山の上に陣取っています
雪纖瘦。
そこへ向かう道は1本しかありません。
しかも細い谷間のような道で、両側には岩の壁がそびえ立っています。
ふもとから、勇ましく突撃しても、毎回、この道で狙い撃ちされ、敗退してしまうのでした。
劉備玄徳は彩盒、
「敵の陣地は、まわりを絶壁で囲まれている。この1本の道以外に、攻め口はないのだ」
と、沈痛な顔をして、考え込んでしまいました。
すると、張飛が突然、
「いや、ある、ある。
あの絶壁をよじ登って、敵の予測しない所から不意を突けばいい」
と言い出しました。