2014年07月15日
まわりを絶壁

そんな壁を破るヒントが、『三国志』にあります。
劉備、関羽、張飛が率いる義勇軍が、初めて敗北を経験した時のことです。
敵の賊軍は、高い山の上に陣取っています
雪纖瘦。
そこへ向かう道は1本しかありません。
しかも細い谷間のような道で、両側には岩の壁がそびえ立っています。
ふもとから、勇ましく突撃しても、毎回、この道で狙い撃ちされ、敗退してしまうのでした。
劉備玄徳は彩盒、
「敵の陣地は、まわりを絶壁で囲まれている。この1本の道以外に、攻め口はないのだ」
と、沈痛な顔をして、考え込んでしまいました。
すると、張飛が突然、
「いや、ある、ある。
あの絶壁をよじ登って、敵の予測しない所から不意を突けばいい」
と言い出しました。
2014年07月15日
人生の羅針盤

こんにちは、木村耕一です。
自分の故郷について、案外、知らないものだな……と、つくづく知らされたことがあります。
文筆家として活躍する70代の大先輩・T氏と、東京・神田で食事をしたときのことです。
「好きな作家は?」と尋ねると、T氏からは、「堀田善衛(ほった よしえ)です」の答え 懷孕前準備。
どんな漢字を書くのか、男か女かも、私には、分かりませんでした。
するとT氏、
「富山県の生んだ、偉大な芥川賞作家ですよ。
あなたも富山県出身でしょう。
知らないなんて、本当ですか?」
恥ずかしながら、知りませんでした。
堀田善衛は富山県高岡市伏木の出身。
私も同じ高岡市生まれなのに……。
さらに驚くべきことが探索四十 洗腦!
宮崎駿監督が、長編アニメの制作から引退を表明した記者会見で、「堀田善衛」の名前が出てくるではありませんか。
宮崎監督は、若い頃から堀田善衛の作品を愛読し、人生の羅針盤のように心の拠り所としてきたといいます。
自分の尊敬する日本人であり、大恩人であるとまでいいます。
これまでの作品作りで、一番影響を受けたのは堀田善衛だ、と語ったこともあります。
富山県出身者としては、やはり驚きでした。
かつて「裏日本」といわれ、なんとなく日本海側の卑屈さを、どこかに持っていた自分には、心が晴れるようでした。
東京へ出てきて、まもなく15年 韓國食譜……。
故郷の魅力を、今一度、見つめ直してみたいと思います。